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circa AD 48–96

Letters to the Churches

Paul and other apostles write to strengthen, correct, and encourage the scattered churches across the Roman world.

2,767 節 · 21 巻を収録

この時代の聖句

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  1. 彼らの足は、血を流すのに速く、

  2. 彼らの道には、破壊と悲惨とがある。

  3. そして、彼らは平和の道を知らない。

  4. 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。

  5. さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。

  6. なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

  7. しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。

  8. それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。

  9. すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、

  10. 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。

  11. 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、

  12. それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。

  13. すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。

  14. わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。

  15. それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。

  16. まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。

  17. すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。

  18. それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。

  19. もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。

  20. なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。

  21. いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。

  22. しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。

  23. ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、

  24. 「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、 さいわいである。

  25. 罪を主に認められない人は、さいわいである」。