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Holy Spirit についての聖句
重要な聖句
また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。
しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。
もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。
もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。
それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。
なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。
すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。
あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。
もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、
かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。
それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。
もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。
御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。
そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。
ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。
「だれが、主の心を知っていたか。 だれが、主の計画にあずかったか。
わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて、言葉とわざ、
しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さったことの外には、あえて何も語ろうとは思わない。こうして、わたしはエルサレムから始まり、巡りめぐってイルリコに至るまで、キリストの福音を満たしてきた。
そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。