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God
God に言及する聖句
だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。
だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。
高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。
彼らはイスラエル人であって、子たる身分を授けられることも、栄光も、もろもろの契約も、律法を授けられることも、礼拝も、数々の約束も彼らのもの、
また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。
しかし、神の言が無効になったというわけではない。なぜなら、イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく、
すなわち、肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである。
まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、
「わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ」と書いてあるとおりである。
では、わたしたちはなんと言おうか。神の側に不正があるのか。断じてそうではない。
神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。
ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。
聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。
だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。
ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。
もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、
かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。
神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。
それは、ホセアの書でも言われているとおりである、 「わたしは、わたしの民でない者を、 わたしの民と呼び、 愛されなかった者を、愛される者と呼ぶであろう。
あなたがたはわたしの民ではないと、 彼らに言ったその場所で、 彼らは生ける神の子らであると、 呼ばれるであろう」。
主は、御言をきびしくまたすみやかに、 地上になしとげられるであろう」。
「見よ、わたしはシオンに、 つまずきの石、さまたげの岩を置く。 それにより頼む者は、失望に終ることがない」 と書いてあるとおりである。
兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。
わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。
なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。