Satire についての聖句: Of Jesus against hypocrites
Of Jesus against hypocrites についての聖句
「律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている。
だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。
また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。
そのすることは、すべて人に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、
また、宴会の上座、会堂の上席を好み、
広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。
しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。
また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。
また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。
そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。
だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。〔
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない。〕
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。
盲目な案内者たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは言う、『神殿をさして誓うなら、そのままでよいが、神殿の黄金をさして誓うなら、果す責任がある』と。
愚かな盲目な人たちよ。黄金と、黄金を神聖にする神殿と、どちらが大事なのか。
また、あなたがたは言う、『祭壇をさして誓うなら、そのままでよいが、その上の供え物をさして誓うなら、果す責任がある』と。
盲目な人たちよ。供え物と供え物を神聖にする祭壇とどちらが大事なのか。
祭壇をさして誓う者は、祭壇と、その上にあるすべての物とをさして誓うのである。
神殿をさして誓う者は、神殿とその中に住んでおられるかたとをさして誓うのである。
また、天をさして誓う者は、神の御座とその上にすわっておられるかたとをさして誓うのである。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。
盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。
盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。