Love to Man についての聖句
重要な聖句
わたしがもし貧しい者の願いを退け、 やもめの目を衰えさせ、
あるいはわたしひとりで食物を食べて、 みなしごに食べさせなかったことがあるなら、
(わたしは彼の幼い時から父のように彼を育て、 またその母の胎を出たときから彼を導いた。)
もし着物がないために死のうとする者や、 身をおおう物のない貧しい人をわたしが見た時に、
その腰がわたしを祝福せず、 また彼がわたしの羊の毛で 暖まらなかったことがあるなら、
もしわたしを助ける者が門におるのを見て、 みなしごにむかってわたしの手を 振り上げたことがあるなら、
わたしの肩骨が、肩から落ち、 わたしの腕が、つけ根から折れてもかまわない。
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。
愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
ピリピの人たちよ。あなたがたも知っているとおり、わたしが福音を宣伝し始めたころ、マケドニヤから出かけて行った時、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかには全く無かった。
またテサロニケでも、一再ならず、物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた。
わたしは、贈り物を求めているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。
わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。エパフロデトから、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りている。それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物である。
わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。
どうか、主が、オネシポロの家にあわれみをたれて下さるように。彼はたびたび、わたしを慰めてくれ、またわたしの鎖を恥とも思わないで、
ローマに着いた時には、熱心にわたしを捜しまわった末、尋ね出してくれたのである。
どうか、主がかの日に、あわれみを彼に賜わるように。――彼がエペソで、どれほどわたしに仕えてくれたかは、だれよりもあなたがよく知っている。